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巨額赤字の在庫整理から地方局経営者へ。ゼロから挑む生存戦略

  • 9 時間前
  • 読了時間: 7分


小説家を志した早稲田大学文学部時代から一転、大手スポーツメーカーでの過酷な不良在庫整理の日々へ。そして、ローカルテレビ局の開局メンバーとして、未知の世界へ飛び込んだ男がいる。北陸朝日放送株式会社の代表取締役、能田剛志氏だ。


全国120以上のテレビ局がひしめく東京の営業市場で「地方局の分厚い壁」にぶつかりながらも、自ら企画した『番組』を武器に道をこじ開けてきた。現在はプロバスケットボールチームの救済に乗り出し、地域のインフラ構築に奔走する。幾多の修羅場を「運が良かった」と笑い飛ばす彼の根底にある、飾らないリアルな生存戦略に迫る。


インタビュアー:元フィールドホッケー選手 中村 航司



小説家志望から一転。入社直後の巨額赤字と過酷な現場

【中村】 能田さん、本日はお忙しい中ありがとうございます。能田さんは現在、石川県でローカルテレビ局を運営されていますが、ご出身は愛媛県の松山ですよね。そこからどのようなストーリーを経て現在に至るのか、ぜひ根掘り葉掘りお伺いさせてください。


【能田さん】 話し出したら2日間ぐらいかかってしまいますよ。私は松山で育ち、大学で東京へ出ました。早稲田大学の文学部で小説を書いて卒業したのですが、なぜかスポーツメーカーのデサントに入社したんです。当時は上場したばかりで非常に人気のある会社でした。


【中村】 本格的に小説を書かれていたのですね。就職先は全く異なる世界ですが 、入社後はどのようなご経験をされたのでしょうか。


【能田さん】 私が入社した直後、会社が立て続けに巨額の赤字を出して再建に入ったんです。新入社員としては何が起きているのか分かりませんでしたね。アパレルですから、売れ残った不良在庫が大量にありました。


それを富山県にある大きな工場へ全国から一括して集めたんです。 工場の中にはものすごい量の段ボールが並んでいました。店頭から引き揚げてくるので、商品から値札を全部外して 、もう一度再販できるように整え、すべての在庫を棚卸しするミッションを与えられました。毎日毎日、1ヶ月以上その仕事を続けましたね。


【中村】 入社早々、想像を絶する現場に直面されたのですね。そこからどのようにしてテレビ業界へ転身されたのでしょうか。


【能田さん】 丸8年かかって会社の再建が終了した頃、妻の地元である金沢でテレビ局が開局することになりました。義父から『金沢に来ないか 』と声をかけられ、31歳の時に開局の公募メンバーとして転職したんです。右も左も分からない、知人もいない状態でテレビ局に入社し、営業部門に配属されました。



『業界の違いへの戸惑い』。地方局の壁を越えた突破口

【中村】 テレビ局に入られて、これまでの経験が活きた部分はありましたか。


【能田さん】 商売の仕組みは全く違いましたね。テレビは『時間』を売るので在庫の心配はありませんが、広告という業界の厳しさはありました。ただ、最初に感じたのは『この業界、まだまだやれることたくさんあるな』ということだったんです。


【中村】 やるべき事をやってないと感じたんですね。


【能田さん】 毎日段ボールを運んで膨大な在庫を整理するような経験をしてきましたからね。それに、私は元高校球児でした。昔は水も飲めない、休みは盆、正月だけという過酷さでしたから、野球部の練習に比べたら、テレビ業界は甘く感じることもありました。当時、『このままでいいのだろうか』という危機感がありましたね。


【中村】 修羅場をくぐり抜けてきたからこその気づきですね 。その後、経営陣へと駆け上がっていく中で、どのような壁にぶつかりましたか。


【能田さん】 東京支社 の営業部長として赴任した時ですね。ローカル局にとって、東京の大手広告代理店やナショナルクライアントとのビジネスは非常に重要です。しかし、全国には120以上のテレビ局があり、営業部長がひしめき合っています。


厳しい言い方をすれば、石川県という市場は経済規模の1%にも満たないため、代理店から『どうでもいい』と思われているのではないか、と危惧を抱くようなポジションです。


【中村】 その圧倒的に不利な状況から、どうやって食い込んでいったのでしょうか。


【能田さん】 ゴルフや天気とか当たり障りのない話を適当にしていればいい、あるいはそんな話しか聞いてもらえない時代だったかもしれませんが、私はそれをしませんでした。『石川でこんなことをやりたい』と具体的な提案をし続けたんです。


東京にいながら自ら番組を企画し、代理店の人に協力してもらって形にしました。そうやってクライアントの利益を一生懸命に考えていると、『おもろいやつがいるぞ』と。



ゼロからイチを生み出す。地域とスポーツのインフラ構築へ

【中村】 自らの企画と行動力で突破口を開いたのですね。現在も、新しい挑戦を続けていらっしゃいますか。


【能田さん】 昨年のことですが、財務的に存続の危機にあったプロバスケットボールチーム『金沢サムライズ』のオーナーを半年間引き受けました。プロバスケットボールの灯を石川県から消してはいけないと思ったからです。


その後、金融機関に増資をお願いし、経営を引き継いでもらいました。これからはメディアも一緒になって、バスケだけでなく、ハンドボールや野球、バレーなど、地域のスポーツを束ねるような、地域活性の構想を進めたいと考えています。アリーナなどエンターテインメントの拠点を作る後押しをして、少しでも地域が元気になればと思っています。


【中村】 企業の枠を超えて、地域のインフラを作ろうとされているのですね。その原動力はどこにあるのでしょうか。


【能田さん】 サムライズの前の社長の苦労話を飲みながら聞いた時、共感する部分があり、『何か協力するべきじゃないか』と思ったんです。もちろん、サムライズの株主を説得するのは壁だらけでしたし、『失敗したらどうするんだ』と反対もされました。


【中村】 挑戦を止めない哲学や、座右の銘のようなものはありますか。


【能田さん】 『正々堂々』、つまり王道を行くということです。正面突破ですね。そして、私の3代前の社長が教えてくれた聖書にある『人はパンのみにて生くるにあらず』という言葉を大切にしています。


もちろん経営者として利益は追求しますが、食べるため、お金のためだけに生きているわけではありません。ローカルテレビ局として災害時には正しい情報を的確に伝える力が絶対に必要ですし、社会課題を解決しようと起業する人たちを応援したいと強く思っています。


【中村】 利益の先にある社会的意義を常に見据えていらっしゃるのですね。

 

【中村】 苦境すらも笑い飛ばす力強さを感じます。本日は、飾らない真実と熱い思いを聞かせていただき、本当にありがとうございました。



編集後記

穏やかな語り口とは裏腹に、能田氏の言葉の端々からは圧倒的な熱量が溢れていた。入社直後の巨額赤字という修羅場や、転職先の地方局で直面した厳しい営業活動。多くの人が怯んでしまうような壁を前にしても、彼は『正々堂々』と正面からぶつかり、自らのアイデアで道を切り開いてきた。


「0から1を作るのが好きだ」と語る彼が、自局の利益を超えてプロスポーツチームの救済に奔走する姿には、心からの敬意を抱かずにはいられない。『人はパンのみにて生くるにあらず』。この哲学は、目先の利益や保身に囚われがちな現代のビジネスにおいて、私たちが忘れてはならない本質である。厳しい環境の中でも、自ら機会を創り出し、社会のために何ができるかを問い続ける彼の静かな闘志は、日々プレッシャーの中で戦う経営者たちに確かな勇気を与えてくれるはずだ。



プロフィール

能田 剛志(のうだ つよし) 北陸朝日放送株式会社 代表取締役社長。愛媛県松山市出身。早稲田大学文学部を卒業後、スポーツメーカーのデサントに入社し会社の再建期を経験。その後、開局メンバーとして北陸朝日放送に転職。東京営業部長などを歴任し、ローカル局の地位向上に尽力。自らECサイトの立ち上げやローカル局ではいち早く動画配信を手がけるなど、ゼロからイチを生み出す挑戦を続けている。


中村 航司(なかむら こうじ) 一般社団法人日本スポーツコミュニティ協会(縁TRANCE) 代表理事。元フィールドホッケー選手(ドイツ・ブンデスリーガ所属/元U18日本代表)。引退後は、スポーツで培った「挑戦するマインド」をビジネスに活かすべく活動中。「戦う経営者図鑑」公式インタビュアー。

 

 

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