【逆境突破・ピンチをチャンスに】ビジネスの逆境をチャンスに変える方法と生存戦略|株式会社タテイシ広美社 立石良典
更新日:9月23日
ビジネスという先の見えないリングにおいて、絶体絶命のピンチをどうやって「最大のチャンス」に変えるのか。私はその答えを探し続けています。
今回お話を伺ったのは、株式会社タテイシ広美社の代表取締役社長、立石良典氏です。彼は、北京留学時代に月3000円で生活したハングリーな原体験から始まり、猛烈なサラリーマン時代を経て、義父が創業した看板業界へと進みました。
東京オリンピックという大型案件を受注するも、コロナ禍による延期で億単位の損失危機に直面。しかし、そこから特大の逆転ホームランを放ち、アクリルパーテーション市場で驚異のシェアを獲得した彼の歩みは、まるで映画のような痛快さに溢れています。
「看板屋」の枠を軽々と飛び越え、街のインフラや人々の「人生」までをもデザインする立石社長。その圧倒的な行動力と、周囲を惹きつけてやまない人間力の源泉に、元プロボクサーの長野憲次が迫りました。
1ヶ月の生活費「3000円」で
《長野》:本日はよろしくお願いします。立石社長の経歴を拝見し、ものすごい行動力だなと驚いているんですが、学生時代は中国に留学されていたんですよね?
《立石》:よろしくお願いします。はい。大学3年の時に中国の北京に留学しました。実家がそんなに裕福じゃなかったので、アルバイトで10万円を貯めて、5万円を1年間の生活費、残り5万円を旅行代と決めていったんです。だから、1ヶ月の食費はだいたい3000円ぐらいでしたね。
《長野》:月3000円! 僕だったら絶対に無駄遣いしちゃいそうです(笑)。その過酷な環境で、何かご自身の考え方が変わったことはありましたか?
《立石》:中国の大学生って、夜、世の中の電気が消えるギリギリまで外で勉強してるんですよ。日本の大学生は全然勉強しないのに。当時の日本は経済で中国より遥かに上でしたけど、このハングリー精神を見たら「確実にひっくり返されるな」と当時から気づいていました。
《長野》:その予測、見事に当たってしまいましたね……。そこから大学を卒業して、最初はどんな会社に就職されたんですか?
《立石》:実は、留学中に同じクラスだった商社の駐在員さんが、日本料理屋さんに連れて行ってくれたんです。そしたら、僕の1ヶ月分の生活費である3000円を、1日の寿司代でポンと使ってて。「駐在員すげえ!」と思って、自分も駐在員になろうと決めたんです。
《長野》:動機がリアルすぎます(笑)。
《立石》:実家が長く続いていた化粧品屋だったんですが、父から「とにかくでかい会社に入れ」と言われて。四季報を見て、資本金2300億円の「重厚長大産業のメーカーが一番だ!」と勘違いして、鉄鋼メーカー(後のJFE)に入社しました。でも、上司に「駐在員に行けるのは25年後かな」と言われて、そんなに待てないと思って辞めたんです。
妻の「今すぐ書きなさい」
《長野》:そこから凸版印刷に転職されるわけですね。
《立石》:はい。東京の新橋あたりで、広告業界みたいなキラキラしたクリエイティブな仕事に憧れて入ったんです。でも、行ってみたら全然甘かった。
今まで鉄を100トン単位で扱う商売に携わっていて、営業としては大きな数量が動くダイナミックな世界を見てきました。ところが印刷は、一枚一枚の品質や仕上がりを積み重ねて価値をつくる仕事なんです。同じ製造業でも営業として求められる感覚がまったく違っていて、その緻密さを理解するまでには、最初はかなり苦労しましたね。
《長野》:ギャップに苦しんだんですね。そこからどう乗り越えたんですか?
《立石》:ある時、中国駐在の募集が出たんです。当時は朝7時に出社して夜中2時、3時に帰る激務だったんですけど、妻に相談したら「これ、あなたの特技を伸ばすチャンスじゃないの!」って、夜中の3時に「今から申し込み書きなさい」と言われて。
《長野》:奥様の一言で!(笑)
《立石》:それで受かっちゃったんです。中国で担当したのが、資生堂さんの多店舗展開の店舗開発でした。
先方に「化粧品業界の仕事、したことありますか?」と聞かれた時、僕は30歳だったんですけど「いやもう、僕は30年やってますよ」って言ったんですよ。
《長野》:えっ? 30歳で30年の経験って、どういうことですか?
《立石》:実家が化粧品店だったので、赤ん坊の頃から母の背中におんぶされながら接客の様子を聞いて育ったんです。お客様が「旅行に行くから日焼け止めが欲しい」とか、「最近好きな人ができたので、もっとお洒落したい」とか、いろいろなお話をされるんですね。
そういうやり取りを聞きながら、化粧品の仕事というのは、ただ商品を売るだけじゃなくて、お客様の人生を少し豊かにするような“夢”を売る仕事なんだな、ということを子どもの頃から感じていました。その話をしたら「面白い!」となって、全面的に仕事を任せてもらえることになりました。
《長野》:すごい勝負師ですね! それでチャンスを掴み取ったと。
義父へのプレッシャーと、オリンピック受注。そして億単位の赤字危機
《長野》:その後、2013年に、義理のお父様が経営されるタテイシ広美社に入社されます。人間関係やプレッシャーはどうでしたか?
《立石》:それはもう、ありましたよ。先代は凄腕の創業者ですし、周りのメンバーから「どんなもんか、お手並み拝見」みたいな空気は感じていました。だからこそ、自分のポジションを作るために、僕なりに「オリンピックの仕事をやる」というビジョンを掲げたんです。スポーツでいう「金メダル」級の仕事をビジネスでやれたら面白いなと。
《長野》:なるほど。そして実際に、2019年に東京オリンピックの仕事を決められたんですよね。
《立石》:はい。オリンピック会場の約半分のディスプレイを受注できました。その時、先代から「ほんまにあん時言うとったのやったな」と言われて、一番認められたなと思いましたね。
でも……ご存知の通り、コロナになっちゃったんです。
《長野》:ああ…。
《立石》:2020年の3月に延期が発表されて、ズッコケましたよ。工場だけじゃ足りないから大きな倉庫を借りて、臨時で40人ぐらい採用して、資材も大量に発注しちゃってましたから。延期になった瞬間に億単位の損失が出て、「これはやばい」という会社の危機でした。
《長野》:天国から地獄というか、いつ開催されるかもわからない中で、耐えがたい状況ですよね。
「無いなら作る」。アクリル板の奇跡
《長野》:そこから、どうやってその絶望的な状況を跳ね返したんですか?
《立石》:マスク不足が騒がれていた頃、広島県の産業振興機構から「飛沫感染を防ぐ衝立を作れないか」と相談があったんです。その時、ビビッときて。「あれ、うちの会社にアクリル板、大量にあるな」と。オリンピックのために発注した材料があり、作る人も場所もあった。
緊急事態宣言中にアクリルパーテーションの試作を作り、通販サイトを立ち上げたら、全国の病院から一斉に注文が来たんです。
《長野》:ものすごい瞬発力ですね!
《立石》:あっという間に10万枚くらい売れました。飲食店からもパーテーションの注文や、合わせてテイクアウト業態への変更に伴う看板やサイネージの依頼がたくさん来たんです。当時は、うち以外の会社は材料を持っていなかったですし、休業補償を受けて休んでいるところも多かったので、作れる会社がほとんどなかったんですね。体感では、シェアの8割近くを占めていたんじゃないかと思います。
《長野》:凄すぎます……! そのピンチをチャンスに変える力って、何が要因だったと思いますか?
《立石》:うちの会社には昔から「オーダーメイドで工夫してモノを作る」という土壌があったのと、僕自身も「無いものは自分で工夫して作る」という考え方が刷り込まれていたんだと思います。あちこちで広く経験してきたものが、点と点が繋がって線になり、面になり、立体になった感覚ですね。
看板屋とは「人の流れ」と「人生」を設計する仕事
《長野》:現在は、EV(電気自動車)の充電スタンド事業でも全国トップクラスのシェアだと伺いました。看板屋さんがなぜEV充電器を?
《立石》:ヨーロッパに行った時、街中に充電スタンドがあるのを見て、日本でも絶対に来ると思ったんです。充電器を立てる仕事って、アスファルトにアンカーボルトを打って、鉄の看板を立てて、電気を引く。これって全部、看板屋の仕事なんですよ。
《長野》:なるほど! 言われてみれば確かに。
《立石》:我々の仕事の本質は「情報を伝えること」だけではなく、それによって「人の流れを作ること」だと思っています。人は看板を長くて3秒しか見ません。その3秒で「この店に入ろう」と心を動かす。街のインフラを作り、居心地の良い地域をつくるという意味では、実家の化粧品屋でお客様の人生を豊かにしていたことと、根っこは同じなんです。
《長野》:すごく腑に落ちました。採用についても、他業界からの転職者が多いそうですね。
《立石》:はい、Uターン転職や、不動産、アパレル、美容師など、全く違う業界から来た社員が多数活躍しています。例えば鉄鋼メーカー出身の人間なら、「鉄の原価がこれくらいだから、競合の入札額はこれくらいだろう」と予測が立てられる。異業種の知見が入ることで、強い組織になるんです。
《長野》:社員の皆さんも、すごく働きがいがありそうですね。
《立石》:社員とその家族を呼んで「家族参観日」をやるんですけど、おじいちゃんやおばあちゃんが「うちの孫がこんな立派になって」と涙を流してくれるんです。子供たちも「父ちゃん母ちゃん、こんなすごいとこで働いてるんだ!」って。昔は「夜まで電気がついててうるさい」と言われていたのが、今では「こんな田舎からオリンピックや万博の仕事をしてる!」と、地域全体が応援してくれるようになりました。
無理だと言われることほど、逆転する喜びがある
《長野》:最後に、キャリアに悩む若者や、次世代に向けてメッセージをお願いします。
《立石》:私の祖父は戦前、水陸両用飛行機の設計をしていて、私にも「設計者になって飛行機を飛ばしてくれ」とずっと期待してくれてました。僕は文系に進んでしまいその夢は叶えられませんでしたが、今は別の形で「人の流れ」や「社員の人生」を設計しています。
若い人に伝えたいのは、「そんなの無理でしょ」と周りに言われることほど、逆転してやり遂げた時の喜びは最高だということです。完全にシャットダウンされたような壁をひっくり返すこと。そこにこそ、人生の本当の楽しみとチャンスがあると思っています。
《長野》:「無理だと言われることほど燃える」。まさにトップアスリートと同じメンタリティですね。本日は胸が熱くなるお話を、本当にありがとうございました!
アスリートの目で読む
元アスリートの視点から、この記事の読みどころをスポーツにたとえて解説します。
■ 「オリンピックの仕事をやる」は予告ホームラン
義父の会社に入り、「お手並み拝見」という空気の中で立石さんが掲げたのが、オリンピックの仕事をやるという目標でした。そして実際に、会場の約半分のディスプレイを受注する。スタンドを指さしてから本当に打つ予告ホームランのように、宣言して結果を出したことで、先代にも「ほんまにあん時言うとったのやったな」と認められました。
(戦う経営者図鑑 編集部)
【Guest Profile】
立石 良典(たていし よしのり)
株式会社タテイシ広美社 代表取締役社長。愛知県の化粧品店に生まれ、大学時代は中国・北京へ留学。重厚長大産業のJFEを経て、クリエイティブ産業である凸版印刷に勤務。中国駐在を含む多様な経験を通じて鍛えられ、2013年に義父が創業したタテイシ広美社へ入社。
東京オリンピック関連の大型案件受注や、コロナ禍でのアクリルパーテーションの爆発的ヒット(一時シェア8割超)など、逆境を覆すアイデアと行動力で会社を牽引。現在はデジタルサイネージやEV充電スタンド事業(全国トップクラス)など、「人の流れをデザインする」次世代のインフラ構築に注力している。
【Interviewer Profile】
長野 憲次(ながの けんじ)
元プロボクサー/株式会社アスリート式 代表取締役。引退後のセカンドキャリアでの挫折経験から、アスリートのキャリア支援事業を立ち上げる。自身の闘病経験を機に、幾多の修羅場を乗り越えてきた経営者たちの「生きたストーリー」に価値を見出し、インタビュー企画をスタート。



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