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【MBO・事業再生・キャリア意思決定の軌跡】大企業のエリートコースを捨て、なぜ彼はリスクを取りオーナー社長になったのか?

  • 2月15日
  • 読了時間: 9分

更新日:2月21日





現代のビジネスパーソンにとって、「キャリアの自律」や「オーナーシップ」は重要なキーワードです。しかし、安定した大企業の看板を捨て、個人の力でリスクを背負って勝負に出ることは、誰もができる決断ではありません。


今回は、大手流通グループでの最年少役員への抜擢、MBA取得、そして事業再生を経て、現在はMBO(マネジメント・バイ・アウト)により自らが社長として会社を経営されているSONOKO代表取締役社長 宇田川 裕昭さんにお話を伺いました。


一見すると華麗な経歴に見えますが、その裏には葛藤と、独自のリスク管理哲学がありました。



意外な過去?「経営者になりたい」なんて微塵も思っていなかった学生時代


【長野】

本日はよろしくお願いします。


宇田川さんのこれまでのキャリアや、大きな決断の裏側に迫っていきたいのですが、まずは遡って学生時代のお話から聞かせてください。やはり当時から「将来は社長になるぞ」といった野心をお持ちだったのでしょうか?


【宇田川】

いえ、それが全くなかったんですよ。小学生の頃は野球、中学ではバスケ、高校からはテニスとスポーツに明け暮れていました。特に大学時代は、いかに楽しんで遊ぶかということばかり考えていて、仕事をしようなんてこれっぽっちも思っていませんでした。


【長野】

それは意外ですね。テニスはかなり本格的にされていたとか。


【宇田川】

そうですね。サークル活動だけでなく、個人でも仲間と練習して、大学のオープン大会でベスト16に入ったり、4年生の時はインストラクターのアルバイトをしたりと、テニスに関しては真面目に取り組んでいました。ただ、キャリアに関しては「とりあえず就職しなきゃ」くらいの感覚で、最初から高い志があったわけではないんです。



面接官への反論から始まったイオン時代


【長野】

そんな宇田川さんが、ファーストキャリアとしてイオンを選ばれた理由は何だったのですか?


【宇田川】

最終面接での出来事がきっかけです。当時の面接官がものすごい圧のある方で、私が学生時代に頑張った話をしたら「え、それだけ?」と言われたんです。それにカチンときてしまって、思わず「量より質です」と言い返してしまいました。


【長野】

面接官に言い返すとは、当時から肝が据わっていますね(笑)。


【宇田川】

若気の至りですね(笑)。でも、その後に「逆に私の立場ならこの会社を受けますか?」と聞いたら、その方は「受けない」と答えたんです。理由を聞くと、「自分が入社した時は業界7、8番手だったが、今はトップを争うまでになった。


その成長過程が面白かったから、また学生に戻るならそういう企業を選びたい」と語ってくれました。一学生に対して本音で語ってくれる熱量に触れ、「こういう人が活躍している会社は本物だ」と感じて入社を決めました。


【長野】

入社後は順風満帆だったのでしょうか?


【宇田川】

店舗勤務を経て、20代半ばで本部に呼ばれました。当時は本社に20代がほとんどおらず、異例の早さでの抜擢でした。ただ、28、9歳になった頃、ふと上司たちを見ると、常に数字に追われて辛そうな顔をしているんです。


また、バイヤーという立場上、取引先の方が会社の看板を見て媚びてくるような関係性にも違和感を抱いていました。「自分にしかできない仕事、自分自身の価値とは何か」と悩み、転職も考え始めました。



あえて「誰も選ばない道」へ。葬儀事業への挑戦とMBA留学


【長野】

そこで転職ではなく、社内公募で「葬儀事業(イオンライフ)」を選ばれたのが面白い選択ですよね。


【宇田川】

当時、社内公募でコンビニ事業(まいばすけっと)や雑貨店などもありましたが、アパレル畑にいた自分にとって、それらは「扱う商品が変わるだけ」に見えました。一方で、冠婚葬祭事業は全くの未知数。意味がわからないからこそ面白いと思い、あえてそこに飛び込みました。


【長野】

安定したレールから外れるような決断ですね。


【宇田川】

そうですね。そこで出会った上司や、看板ではなく「人」として接してくれる葬儀屋さんたちとの仕事を通じて、仕事への向き合い方が変わっていきました。その後、34歳の時に会社からのオファーで大学院(MBA)へ行く機会を得ました。最初は興味がなくて案内メールを捨てたんですが、上司に怒られて拾い直しまして(笑)。結果的に早稲田の大学院で1年間経営を学び、視座が大きく上がりました。


【長野】

復職後はどのような業務を?


【宇田川】

新規事業の立ち上げなどを行いましたが、当時のトップマネジメント層の承認を得るのが本当に大変で……。ある事業の承認を得るのに1年もかかり、無理難題を言われ続けました。それをやり切った時に「もし自分以外の人間なら心が折れているだろう」と思うと同時に、「もっとダイナミックに、スピーディーに意思決定ができる環境に行きたい」と強く思うようになり、転職を決意しました。



運気を落とさないための「300万円」の教え


【長野】

ここでトリドールへ転職されるわけですね。


【宇田川】

はい。ただ、大学院に行かせてもらった際に「5年間は辞めない」という誓約書を書いていたので、3年半で辞める私は学費を全額返還する必要がありました。約300万円です。法的な強制力は曖昧でしたし、分割交渉もできたはずですが、お世話になった社長に「すぐに全額返しなさい。そうしないと運気が落ちる」と諭されまして。


【長野】

その言葉ですぐに返済されたんですか?


【宇田川】

はい、すぐに揃えて返しました。結果として、これは本当に正解でした。お金を返したことで古巣に対して何の負い目もなくなり、その後も対等にビジネスの話ができたんです。あの時、「ケジメ」をつけていなければ、今の自分はなかったかもしれません。



雇われ社長からオーナー社長へ。MBOという決断


【長野】

トリドールでは子会社の株式会社SONOKOの再建を任されたそうですね。


【宇田川】

当時、組織が混乱していて、年間で社員以上の人数が退職するような異常事態でした。このままでは会社が潰れると思い、「私が社長をやります」と手を挙げ、2019年に就任しました。自社商品をひたすら食べ続け、愛着も湧いてきた矢先にコロナ禍が訪れました。


【長野】

コロナ禍での経営、そしてMBO(自社買収)への流れはどのようなものだったのでしょうか。


【宇田川】

親会社の方針で、株式会社SONOKO売却する話が出たんです。しかし、買い手候補として挙がってくるのは、会社の理念や商品を大事にしてくれそうにない企業ばかり。それなら「自分で買うしかない」と思い立ちました。


【長野】

個人で会社を買い取るというのは、相当なリスクですよね。資金調達も大変だったのでは?


【宇田川】

本当に大変でした。メガバンクを含め9行くらいに断られました。自分の愛する会社にお金を貸してくださいと頼んで断られ続けるのは、まるで失恋を繰り返しているような辛さでしたね。


しかし、諦めずに動き続けた結果、かつて株式会社SONOKOと縁のあった金融機関を紹介していただき、ギリギリのタイミングで資金調達が決まりました。2021年4月、晴れてオーナー社長として独立しました。



宇田川流「リスク管理」の極意:最悪のシナリオを直視する


【長野】

多くの人は、借金を背負ってまで会社を買うというリスクに足がすくむと思います。宇田川さんがその恐怖を乗り越えられたのはなぜですか?


【宇田川】

「最悪のシナリオ」が何なのかを明確にしていたからだと思います。今回のMBOで言えば、最悪のケースは会社が倒産し、出資金と連帯保証の借金が残ることです。


【長野】

その金額を計算されたんですね。


【宇田川】

はい。計算して、「まあ、一生かけて働けば返せない金額ではないな」「家族が路頭に迷うほどではないな」と腹落ちできたんです。最悪の事態になっても、また稼げばいい。そう思えたら、リスクは飲み込めるものに変わります。


【長野】

逆に、リスクを取る向こう側には何を見ていたのでしょうか。


【宇田川】

実は私、いつか地中海のマルタ島で、クルーザーに乗りながらパソコン一台で仕事をして、気が向いたら海に飛び込む……みたいな生活に憧れていまして(笑)。


【長野】

まさかのマルタ島!(笑)


【宇田川】

雇われ社長のままでは、その夢は絶対に叶わないなと気づいたんです。自分の人生の選択肢を広げるためには、オーナーになるしかなかった。リスクを取らない選択をすれば平穏ですが、自分の可能性の上限も見えてしまう。それよりも、リスクを飲み込んででも「見たことのない景色」を見に行く人生の方が面白いと思ったんです。



未来へ:会社をなくさない、という使命


【長野】

現在、オーナー社長として見据えている未来について教えてください。


【宇田川】

まず一番の責任は「この会社をなくさないこと」です。素晴らしい商品があり、それを必要としてくださるお客様がいる。この価値を守り続けることが根底にあります。その上で、会社を成長させたり、意欲ある社員に子会社を任せたりと、事業としての広がりを作っていきたいですね。



キャリアに迷うあなたへ


【長野】

最後に、今キャリアに迷っていたり、一歩踏み出そうか悩んでいる読者の方へメッセージをお願いします。


【宇田川】

不安というのは、正体がわからないから怖いんです。だからこそ、「最悪のシナリオ」を具体的にシミュレーションしてみてください。「失敗したらどうなるか」を突き詰めて考えた時、それが「死ぬわけじゃない」「またやり直せる」と思える範囲なら、挑戦する価値はあります。


そして、付き合う人を変えることも大切です。私も環境を変え、視座の高い人たちと出会うことで、「これくらいのリスクなら大丈夫だ」という感覚を養うことができました。自分の限界を決めず、ぜひ面白いと思うほうへ一歩踏み出してみてください。


【長野】

理論と感覚、そして圧倒的な行動力。宇田川さんのお話から、多くの勇気をいただきました。本日はありがとうございました。


【宇田川】

ありがとうございました。




【編集後記】

今回のインタビューを通じて強く感じたのは、宇田川さんの中に共存する「感覚」と「論理」の絶妙なバランスでした。


「なんか面白そう」「マルタ島でクルーザーに乗りたい」といった直感的な感覚(センス)を大切にしながら、MBAや経営再建の現場で培った「ロジック」でその夢を現実のものにしていく。この両輪が回っているからこそ、MBOという大きなリスクを伴う決断も「計算された挑戦」として乗り越えることができたのだと思います。


「最悪のシナリオが見えていれば、人は一歩踏み出せる」。

キャリアの岐路に立っている方にとって、これほど背中を押してくれる言葉はないのではないでしょうか。今回の記事が、迷いの中にいる誰かにとって、新たな一歩を踏み出すきっかけになれば幸いです。



【Guest Profile】

宇田川 裕昭(株式会社SONOKO 代表取締役社長)

立教大学卒業後、イオンに入社。20代で本社バイヤーに抜擢され、社内公募で葬儀事業へ参画するなど異色のキャリアを歩む。早稲田大学大学院(MBA)修了後、トリドールホールディングスを経て子会社社長に就任。2021年、MBO(マネジメント・バイ・アウト)により同社を自ら買収し、オーナー社長として独立。


【interviewer】

長野 憲次 元プロボクサー/株式会社アスリート式 代表取締役 「戦う経営者図鑑」編集長。リングという極限の場所で培った精神力をビジネスに転換し、現在は経営者へのインタビューやブランディング支援を行う。





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