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どん底からの逆転。元不良少年が、石垣島の飲食業界で「てっぺん」を獲るまで

  • nagano
  • 1月20日
  • 読了時間: 7分


沖縄県石垣島。 人口約5万人、青い海と空に囲まれたこの南の島で、毎日のように走り込み、汗を流す男がいます。


株式会社てっぺん、代表取締役・東風平和明(こちんだ かずあき)。


色黒に焼けた肌。 その風貌は、一見すると現役のアスリートやインストラクターを思わせます。


しかし、彼の本業は島内で4店舗の居酒屋を展開し、60名弱の従業員を抱える飲食企業の経営者です。


「3日走らなかったら、なんか身体の調子が悪いんですよ。先に身体を動かしてスッキリさせたほうが、頭も冴える。経営判断もそのほうがうまくいくんです」


そう笑う東風平氏の表情は、南国の日差しのように明るいものでした。


だが、その笑顔の裏には、想像を絶する壮絶な過去と、這い上がってきた男だけが持つ「本物の強さ」が隠されています。


今回、元プロボクサーである私、長野憲次が対峙したのは、まさにリングの上で殴り合うような人生を生き抜いてきた、「戦う経営者」そのものでした。


彼の人生は、きれいごとのサクセスストーリーではありません。 泥と汗、そして涙にまみれた、人間臭い再生の物語です。




洗剤まみれの白米と、生きるための盗み



東風平氏の原点は、強烈な「飢え」と「孤独」にあります。


30年ほど前の石垣島。 まだ「ヤンキー」という言葉が生きていた時代、彼はそのど真ん中にいました。


彼が道を踏み外しかけた理由は、単なる若気の至りではありません。 それは「生存本能」によるものでした。


彼が小学1年生の時、母親がいなくなりました。 残されたのは、昔気質の漁師(ウミンチュ)である父親と、6人の兄弟たち。


父親は一度漁に出れば1ヶ月は帰ってこない。陸にいても飲み歩き、家には寄り付かない。 家には生活費もなければ、食べるものもない。まさに極貧状態でした。


「作り方もわからないのに、自分たちでご飯を作らなきゃいけなかったんです。お米を研ぐっていうじゃないですか。僕ら、研ぎ方がわからなくて、洗剤を入れて洗ったんですよ」


兄弟みんなで、泡だらけになった米を炊いたそうです。 炊き上がったご飯は、洗剤の匂いと味が充満していました。


それでも、それを食べなければ死んでしまう。


「みんなで泣きながら食べましたよ。あの時の味は忘れられないですね」


生きるために、彼は盗みを覚えました。 給食費が払えないことでいじめられ、それに反発して暴力を振るう。 カツアゲ、万引き、傷害。警察の世話になることもしょっちゅうでした。


負の連鎖は止まらず、彼は地域でも有名な「問題児」として孤立していきます。


「誰にも相手にされないから、余計に反発するんです。服も買えない、風呂も入れないから臭う。それでまたバカにされる。悔しくて、寂しくて、暴れるしかなかった」


転機が訪れたのは、祖父母の存在と、小学6年生の時に出会った一人の教師のおかげでした。


「人様に迷惑をかけるな」「勉強しなさい」と根気強く説く祖父母。 そして、「やればできるんだよ」と正面から向き合ってくれた先生。


彼女の指導のおかげで、なんと彼はオール5の成績を取るまでに更生します。 さらに、祭りのテキ屋でのアルバイト経験が、彼に「働く喜び」を教えました。


「おっちゃんに『俺を使ってくれたらめちゃくちゃ頑張るから』って頼み込んで。時給400円でしたけど、自分で稼いだ金で妹に何か買ってやれるのが本当に嬉しかった」


中学時代に同級生が事故や事件で亡くなるという悲劇を目の当たりにし、「このままじゃ自分も終わる」と悟った彼は、高校入学とともに本格的に「まともな道」へと舵を切ります。


かつての不良少年は、生きるために働き、働くことで自分の居場所を見つけ出していったのです。




ブラック企業での修業と、独自の「靴を履く」哲学



高校卒業後、電気工事やビルメンテナンスの仕事を経て、彼は一度島を出て横浜へ渡ります。 その後、沖縄に戻り、ディスカウントショップ「ビッグワン」で小売の数字を叩き込まれました。


坪単価150万円を売り上げるような繁盛店で、彼は「経営の数字」への嗅覚を磨きます。


そして、友人の誘いで飲食業界へ。 しかし、そこはいわゆる「ブラック企業」でした。


「休みは月に2回あればいいほう。1日15時間労働は当たり前。給料も決まっていないような世界でした」


だが、東風平氏はそこから逃げ出しませんでした。 むしろ、その過酷な環境を反面教師とし、強烈な学びを得たのです。


「ここでは絶対に生き残ってやる」というハングリー精神。 そして、「自分が会社を作るなら、絶対にこうはしない」という強い決意。


独立して株式会社てっぺんを設立した彼が目指したのは、飲食業界の常識を覆す「ホワイトな経営」でした。


「残業代が欲しいなら働いてもいい。でも、基本は定時で帰そう。家族との時間を大切にさせよう。僕自身がブラックな環境で苦しんだからこそ、社員には同じ思いをさせたくないんです」


彼の経営哲学は、非常にシンプルかつ実践的です。 特に印象的なのが、習慣化に関する考え方。


彼はそれを「靴を履く理論」と呼びます。


「何かを始めようとしても、みんな考えすぎて動けないんです。ジョギングが続かない人に、僕はこう言うんです。『走らなくていいから、とりあえず靴だけ履いてごらん』って」


靴を履くだけなら誰でもできる。 履いてしまえば、「せっかくだから外に出ようか」となり、「ちょっと歩こうか」となり、いつの間にか走っている。


「ハードルを極限まで下げるんです。勉強なら、ペンを持つだけでいい。机に座るだけで合格。それを繰り返していけば、いつかそれが当たり前になる。僕自身、意思が弱いからこそ、そういう仕組みを作って乗り越えてきたんです」


かつて洗剤ご飯を食べていた少年は、いまや「人の弱さ」を理解し、それを補うための「仕組み」を作る経営者へと成長していました。


彼の言葉には、机上の空論ではない、泥臭い現場で培ったリアリティが宿っています。



それぞれの「てっぺん」を目指して



現在、東風平氏は新たな挑戦を始めています。 それは、自社で開発した「八重山そば酒場 東風平」という業態のフランチャイズ展開です。


「これ、未経験でも1ヶ月で運営できるようになるモデルなんです。これを広めたい理由は、単なる金儲けじゃありません。スタッフが地元に帰れるようにしてあげたいんです」


石垣島には、県外から働きに来ているスタッフも多くいます。 彼らがいずれ親の介護などで地元に帰らなければならない時、会社を辞めるのではなく、その地元で「のれん分け」として店を出せるようにする。


スタッフとの絆を断ち切らず、彼らの人生も守るための戦略です。


社名である「てっぺん」には、単に業界トップを獲るという意味だけではない、もっと深い想いが込められています。


「それぞれの『てっぺん』を目指してほしいんです。独立するならそれでいい。うちで幹部になるならそれでもいい。みんなが自分の人生の主役として輝ける場所でありたい」


かつて社会の底辺で、見捨てられかけた自分だからこそ、人の可能性を信じることができる。 学歴がなくても、元ヤンチャでも、やる気さえあれば人は変われる。


「うちには未経験から3年で店長になったやつもいます。過去なんて関係ない。僕がそうだったように、ここで人生を変えてほしい」


インタビューの最後、私が「昔のヤンチャ時代の写真はありますか?」と尋ねると、東風平氏は苦笑いしながらこう答えました。


「貧乏すぎてカメラなんてなかったし、親父がアルバムごと燃やしちゃったんですよ。過去を消したかったんでしょうね」


写真はありません。 だが、彼の語る言葉の端々には、その過去を乗り越えてきた男の自負と、未来を見据える澄んだ眼差しがありました。


石垣島の太陽の下、東風平和明は今日も走り続けます。 自分の、そして仲間の「てっぺん」を目指して。




編集後記

「きれいごとは言いたくないんです」


インタビュー中、東風平氏は何度もそう口にしました。 その言葉通り、彼の話には一切の虚飾がありませんでした。


普通なら隠したくなるような極貧の幼少期や、荒れていた過去の話も、彼は真っ直ぐに私の目を見て話してくれました。


彼が作る会社が、なぜこれほどまでに人を惹きつけ、離職率の高い飲食業界で強固な組織を作れているのか。


その答えは、彼自身の「人間力」と、弱さを知っているからこそ差し伸べられる「優しさ」にあるのでしょう。


石垣島に行く機会があれば、ぜひ彼の店を訪れてみてほしいと思います。 そこにはきっと、熱い魂が込められた料理と、笑顔のスタッフたちが待っているはずです。


【プロフィール】 東風平 和明(こちんだ かずあき) 株式会社てっぺん 代表取締役。 沖縄県石垣島出身。極貧の幼少期を経て、若き日は荒れた生活を送るも更生。電気工事、小売業を経て飲食の世界へ。


過酷な労働環境での勤務経験をバネに独立し、現在は石垣島内で4店舗の居酒屋を経営。従業員の働きやすさを追求した「ホワイト経営」を掲げ、新たなフランチャイズモデルの展開にも力を入れている。趣味はジョギングとギター。

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