「できない自分」を認めた時、14代目の老舗は「チーム」に変わった。歴史を背負う男が辿り着いた「咲かせた土の恩」という経営哲学|有限会社丁子屋 柴山社長
更新日:9月23日
《長野》:今日はよろしくお願いします。まず、お会いしてすぐに感じたのですが、柴山さんからは、いわゆる「老舗の堅苦しい当主」という威圧感が全くありませんね。むしろ、もっと軽やかで、自然体な空気を纏っていらっしゃる。
《柴山》:そうですか? それは嬉しいですね。どうしても「14代目」という肩書きが先行して、会う前から身構えられることが多いんですよ 。でも実際は、そんな大層な人間じゃないんです。悩みながら、走りながら、なんとかやっている等身大の人間ですよ。
《長野》:その「等身大」という言葉が、今の柴山さんを象徴している気がします。今日は、その飾らないお人柄の奥にある、経営者としての情熱と、そこに至るまでの葛藤の物語を紐解かせてください。
「14代目」という運命、その重さと勘違い
《長野》:創業から数百年続く企業の14代目。生まれた時から、やはり特別な環境だったのでしょうか?
《柴山》:そうですね。幼い頃から、周囲には「次は14代目だね」と声をかけられ続けてきました。学校でも苗字ではなく屋号で呼ばれるような環境で。それをプレッシャーというよりは、ごく自然なこととして、自分の中に刷り込まれて育った感覚です 。
《長野》:ご自身の中で、疑問を持つこともなく?
《柴山》:ええ。ただ、面白い話がありましてね。実は僕、うちの会社が静岡県内で一番の長寿企業だとずっと思い込んでいたんです(笑) 。
《長野》:思い込んでいた(笑)。事実は違ったのですか?
《柴山》:調べてみたら、実際は県内でも10数位だったんですよ。「なんだ、上には上がいるじゃないか!」と 。日本にはもっと長い歴史を持つ企業がたくさんある。その事実に気づいた時、逆に肩の力が抜けました。「うちはまだまだ若い会社だ」と。
ただ同時に、今の時代、会社を3年続けることすら難しいという現実も知っています。そう考えると、順位はどうあれ、これだけ長く暖簾を守り続けてきた先代たちの凄み、そしてそれを繋いでいくことの難しさを、改めて痛感するようになりました 。
挫折と情熱の狭間で — 和太鼓とランニングが教えてくれた「限界の越え方」
《長野》:学生時代はスポーツをされていたと伺いました。
《柴山》:中学・高校と色々な部活をやりましたが、実はどれも長続きしなかったんです。特に高校のサッカー部は、周りのレベルの高さに圧倒されてしまって...。「やらされている感」が強くて、1年で退部してしまいました 。あの頃は、何かに夢中になるという感覚が分からなかったのかもしれません。
《長野》:そんな柴山さんが、夢中になれたものが「和太鼓」だったのですね。
《柴山》:はい。子供の頃に少し触れていた和太鼓に、大人になってから改めて魅了されました。大学卒業後はセミプロとして約5年間、活動していました。海外公演にも行かせてもらって 。
《長野》:セミプロまで! 何がそこまで柴山さんを駆り立てたのでしょうか?
《柴山》:「限界を超える」という体験です。 ステージの上で、観客の熱狂に応えようとバチを振るう。体力的にはもう限界なんですが、想いを届けたい一心で叩き続けると、ふと限界の向こう側に行ける瞬間があるんです 。
表現者として、自分の内側にあるものを全て出し切る感覚。 この経験は、現在の仕事に生きていると実感しています 。
《長野》:経営と和太鼓。一見遠いようで、通じるものがあるのですね。
現在はランニングもされているとか。
《柴山》:実はランニングを始めたきっかけは、ポジティブなものではありませんでした。 社長に就任した後、仕事がどうしても上手くいかず、強烈な自己嫌悪に陥った時期があったんです。その苦しみから逃れるために、とにかく走り始めた。最初は現実逃避でした 。
《長野》:苦しみから逃れるために、走る。
《柴山》:でも、走っているうちに、苦しさが不思議と「気持ちよさ」に変わっていったんです。 経営もランニングも同じです。「もう無理だ」と思ったところからが本当の勝負。
そこからどう足を前に出すか、どう思考を切り替えるか 。 多くの経営者がマラソンにハマる理由が、今ならよく分かります。限界のその先にある景色を、知ってしまったからでしょうね。
孤立無援の経営改革、そして家庭の危機
《長野》:26歳で家業を継ぐ決意をされ、そこから順風満帆だったのですか ?
《柴山》:いえ、全くそんな事ありませんでした。最初は「自分が変えなきゃいけない」と意気込んで、空回りばかりしていました。
父の代のやり方を「古臭い」と全否定して、現場の職人さんたちとも衝突しました。厨房で3年修行した後、自ら営業に出たんですが、そこでも価格交渉ばかりで、うちの本当の価値が伝わらない 。
《長野》:孤独な戦いですね。
《柴山》:ええ。相談できる相手もいなくて、外部のコンサルタントやセミナーの意見ばかりを鵜呑みにしていました。「経営者はこうあるべきだ」という理想像に縛られて、現場を見ようとしていなかった。
その歪みは、会社だけでなく家庭にも及びました。当時、妻との関係は最悪で、離婚の危機にまで発展していたんです 。
《長野》:そこまで追い詰められていたとは……。その状況をどう打破されたのですか?
《柴山》:救ってくれたのは、その妻でした 。
「できないままでいい」—— パートナーの言葉が救った会社と心
《長野》:奥様が、会社の再生のキーパーソンになったと。
《柴山》:彼女は元々、大阪での和太鼓時代に出会ったんです。バックパッカーとして世界を旅していたような、自由でバイタリティのある女性で 。
僕があまりに頼りない状況を見かねて、彼女が会社に入ってくれることになったんです。彼女には、老舗のしがらみなんて関係ありませんから(笑) 。
《長野》:外の風が入ってきたわけですね。
《柴山》:そうです。彼女は物事をはっきりと言う。ダメなものはダメ、良いものは良い。その姿勢が、なあなあになっていた社内にメリハリを生みました。
管理体制が整い、利益が出る体質に変わり、結果としてスタッフにとっても働きやすい環境ができていきました。
《長野》:柴山さんご自身の変化はいかがでしたか?
《柴山》:実は、妻に対して「嘘」をつき、裏切ってしまった過去があるんです。それが僕の人生で最大の失敗でした。 当時、経営がうまくいかない焦りから、僕は家庭でも「強い経営者」を演じようと必死でした。
弱いところを見せたくない、心配をかけたくないという一心で、悩みや本当の状況を隠し、虚勢を張って自分を偽ってしまった。それが結果として、妻への「嘘」になってしまったんです。
《長野》:守ろうとするあまり、逆に心を閉ざしてしまったんですね。
《柴山》:ええ、本当にその通りです。でも、そんな僕の嘘やメッキが剥がれ落ちた時、彼女は僕を責めるのではなく、こう言ってくれたんです。
「できないことは、できないままでいい」と。
《長野》:「できないままでいい」。
《柴山》:衝撃でした。「カッコつけなくていい、無理して完璧になろうとしなくていい。弱いままでいいから、その代わり、悩んでいることを正直に話してほしい」と。 その言葉で、張り詰めていた糸がプツンと切れた気がしました。
《長野》:そこで初めて、鎧を脱げたんですね。
《柴山》:はい。自分の弱さを認めて、悩みを正直に共有する。カッコ悪い自分もさらけ出す。それが本当の「コミュニケーション」だと気づかされました。
僕一人で完璧な経営者になる必要はない。できないことは、できる人に助けてもらえばいい。そうやってありのままの自分を受け入れられるようになった時、初めて本当の意味で妻とも、そして社員とも「チーム」になれた気がします。
「咲かせた土の恩を知れ」—— 次の100年へ繋ぐビジョン
《長野》:弱さを認められるリーダーだからこそ、周りに人が集まるのですね。現在、柴山さんが掲げているビジョンについて教えてください。
《柴山》:僕の根底にあるのは、「一緒にやろうぜ」と言ってくれる仲間の存在と、「人に喜んでもらえるか」というシンプルな問いです 。
会社としてのビジョンは、スタッフ全員が主役になれる場所を作ること。「とろろ道」という体験プログラムなどを通じて、スタッフ一人ひとりが主体性を発揮し、お客様と感動を共有できる。
そんな働きがいのある会社でありたいと思っています 。
《長野》:最近、応募者の方から素敵な言葉をもらったそうですね。
《柴山》:ええ。「ここで働けば幸せになれそう」と言ってもらえたんです 。これほど嬉しい言葉はありません。 給料の高さだけじゃない。成長を評価し合い、助け合える文化がある。関わる人すべてが幸せになれる仕組みを作ることが、僕の仕事だと思っています 。
《長野》:素晴らしいですね。その視線は、会社の中だけでなく、地域全体にも向いていると伺いました。
《柴山》:はい。この宿場町、そして東海道全体を「楽しい公園」のようにしたいんです 。 かつてのような活気を取り戻し、次世代の子供たちが「ここ面白そうだな、やってみたいな」と思えるような土壌を作りたい 。
僕には大切にしている言葉があります。「咲かせた土の恩を知れ」 です。
《長野》:「咲かせた土の恩を知れ」。深い言葉ですね。
《柴山》:綺麗な花が咲いたとき、人は花ばかりを賞賛します。でも、その花を咲かせたのは、目に見えない土の力であり、水や太陽の恵みです 。
成果が出たときこそ、それを支えてくれたスタッフ、地域、家族、そして先代たちへの感謝を忘れてはいけない。その「おかげさま」の精神こそが、これからの時代に最も必要な経営哲学だと信じています 。
【編集後記】
「昔は弟の想いに気づけず、独りよがりだった」と過去の失敗を隠さずに語る柴山さん。その姿からは、挫折を知る者だけが持つ、深く静かな強さを感じた。
完璧なカリスマが引っ張る組織ではない。リーダーが弱さをさらけ出し、スタッフ一人ひとりがその隙間を埋めるようにして輝き出す組織。
「ここで働けば幸せになれそう」。応募者が口にしたその言葉は、決して大袈裟ではないだろう。 14代目が耕した「土」の上で、次はあなたが、自分だけの花を咲かせる番かもしれない。

【Guest Profile】
柴山 広行 氏 (有限会社 丁子屋 14代目当主 / まちづくり協議会 理事長)1596年創業、静岡・丸子宿にある日本最古のとろろ汁の老舗「丁子屋」14代目。 元セミプロ和太鼓奏者という異色の経歴を持つ。26歳で家業を継ぎ、経営と家庭の危機を乗り越えて組織を再生。 現在は「咲かせた土の恩を知れ」を胸に、社員が主役となる会社づくりと、東海道の宿場町を「楽しい公園」にする地域活性化に取り組んでいる。
【Interviewer】
長野 憲次(ながの けんじ) 株式会社アスリート式 代表取締役。 元プロボクサー。引退後、実業界へ転身。「戦う経営者図鑑」を通じて、経営者のリアルな生き様と哲学を発信し続けている。



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