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「3000万溶かして、夜逃げした」元王者が絶句した、12店舗のオーナー社長がひた隠してきた過去

  • nagano
  • 1月17日
  • 読了時間: 8分

更新日:1月18日




【はじめに:リングと経営、二つの修羅場】


ボクシングのリングと、ビジネスの最前線。 一見、全く異なる世界に見えるこの二つの場所には、驚くほど共通する「鉄則」が存在する。


それは、「倒れたことが負けではない。立ち上がらなかった時が負けなのだ」という真理だ。


今回の対談は、株式会社ウィルビーの代表取締役、真瀬浩彰氏。 大手企業を退職後、バックパッカーとして世界を放浪。30歳を前に未経験の飲食業界へ飛び込み、現在は12店舗を展開する経営者だ 。


しかし、その成功の裏には、台湾進出での「3000万円の損失」と、断腸の思いで決断した「夜逃げ同然の撤退」という、壮絶な過去が隠されている 。




対するインタビュアーは、元日本ライトフライ級王者・久田哲也氏。 彼もまた、29歳で一度は引退を決意しながら、「ダサい親父になりたくない」という一心で30歳からリングに舞い戻り、奇跡の王座戴冠を果たした「不屈の男」である 。




「30歳」という人生の分岐点。そして「敗北」の味を知る男たち。 二人の会話は、予定調和なインタビューの枠を超え、互いの生き様をぶつけ合う「スパーリング」のような熱を帯びていった。




【第1章:バンコクで見た景色】



真瀬氏の起業の原点は、バックパッカー時代に訪れたタイ・バンコクの屋台にあるという。そこで見た光景が、彼のビジネス観の根底を形作っている。


真瀬: 会社を辞めてすぐ、シンガポールからマレーシア、タイへと陸路で旅をしたんです 。 そこで一番衝撃を受けたのは、バンコクの屋台でした。朝ごはんを食べに行った屋台のおばちゃんが、夜の11時になってもまだ同じ場所で、汗だくになりながら料理を作り続けているんです 。




久田: 朝から夜中まで、ずっとですか?


真瀬: そうなんです。昔の僕の職場もブラックでしたけど、それとは次元が違う(笑)。 彼女たちからは「やらされている感」が全くなくて、とてつもないパワーと明るさを感じたんです。「このエネルギーすげえな!」と 。 その時、直感的に思ったんですよ。


「このバイタリティを日本に持ち帰って、アジア料理屋をやろう」と 。それが全ての始まりでした。




【第2章:3000万円の授業料と、孤独な「撤退戦」】



順調に店舗を拡大していた真瀬氏を襲った最大の試練。それは5〜6年前の「台湾進出」だった 。 「日本のオーナーが集まる村を作る」という甘い誘い文句に乗った最初の失敗、そして再起をかけた2度目の出店。しかし、そこで待っていたのは、毎月垂れ流される赤字と、底なしの資金流出だった。




真瀬: 台北でフランチャイズのお店を出したんですが、これが全くうまくいかない。 毎月大赤字で、日本の本社から資金を送金し続ける日々でした。トータルで3000万円くらい溶かしたと思います 。




久田: 3000万……。個人の感覚では想像もつかない額です。



真瀬: このままだと日本の会社まで共倒れになる。そう思って現地の弁護士に相談したんです。「どうやって撤退すればいいか」と。 そうしたら弁護士にこう言われました。

「あなたは日本人なんだから、いなくなっちゃえばいいじゃん」って 。




久田: えっ? 「飛べ」ということですか?


真瀬: そうです。台湾では連帯保証人の制度が日本と違って、失敗しても個人の責任まで追及されにくい。「ダメなら辞めて次に行けばいい」という文化があるんです 。


だから、スタッフには当日まで黙っていました。最後の営業終了後にみんなを集めて、給料を少し多めに渡して、「今日で店を閉める」と告げて……。




久田: それは……キツいですね。


真瀬: キツかったです。業者さんへの支払いも半分しかできない所もありました。 その足で夜中の飛行機に乗って日本へ逃げ帰ったんです 。 法律的にはセーフでも、道徳的には完全にアウトじゃないですか。


一年間くらいはずっと心の闇を抱えていました。「俺はとんでもないことをしたんじゃないか」って 。




久田: その「申し訳なさ」で押しつぶされそうになる感覚、痛いほど分かります。 僕も47戦して、11回負けています 。 応援してくれたスポンサーやファン、家族の期待を裏切った瞬間、自分が全否定されたような気持ちになる。


リングの上で負けるというのは、ある意味で「社会的な死」に近い感覚があるんです。 でも真瀬さんは、その闇からどうやって自分を立て直したんですか?




真瀬: 妻の一言が大きかったですね。ウジウジしている私に、「日本で夜逃げしてる人なんて沢山いるんだから、生きてるだけでいいじゃない」とあっけらかんと言われて(笑)。 それで吹っ切れました。結局、ビジネスで失敗しない唯一の方法は、「辞めないこと」なんだと気づいたんです。




【第3章:30歳という「デッドライン」が生む爆発力】



話題は、二人の人生が大きく動いた「30歳」という時期についての共通点へと移る。


久田: 先ほど「30歳までに結果を出したかった」と仰っていましたが、僕も全く同じなんです 。 29歳の時、一度ボクシングから離れました。日本ランカーにはなっていましたが、チャンピオンにはなれず、周りの友人は結婚して出世していく。「俺は何をやっているんだろう」と 。




真瀬: 焦りますよね、その年齢は。


久田: はい。でも、子供が生まれたばかりで、「このまま辞めたらダサい親父になる」と思ったんです。 「あと一年だけ、30歳までの1年間だけ死ぬ気でやって、ダメなら辞めよう」と決めて復帰しました 。


そうやって期限を決めて退路を断ったら、不思議と体が動いて、そこから一気に6連続KO勝ちして日本チャンピオンになれたんです 。




真瀬: すごいシンクロですね! 私も会社を辞める時、「飲食でダメならサラリーマンに戻る」と決めていましたが、戻るとしても30代前半がリミットだと思っていました 。


だからこそ、「絶対にこの店を軌道に乗せる」という執念が生まれた。 やっぱり、男が人生を変える時って、「逃げ道を断つ」という決断が必要不可欠なんですね 。




【第4章:「辞めなければ、それは失敗ではない」】



現在、12店舗を経営し、かつて店舗を任せたスタッフの独立支援まで行う真瀬氏 。 数々の修羅場をくぐり抜けてきた彼が辿り着いた「勝つための哲学」は、極めてシンプルだが、重みのあるものだった。




真瀬: 久田さん、僕は社員によく言うんです。 「お店を出して、潰さなければ失敗じゃない。売上が悪くても、改善して、やり続けている限りはプロセスに過ぎない」と 。 諦めて辞めた瞬間に、初めてそれが「失敗」として確定するんです。




久田: リングに立ち続ける限り、負けではないと。


真瀬: そうです。だからこそ、日々のマインドセットが重要になります。 うちの経営理念は「ありがとう」「ワクワク」「素直」の3つなんですが、これは精神論ではなく「実戦的な技術」なんです 。




久田: 技術、ですか?


真瀬: はい。娘にも言っているんですが、「思ってなくてもいいから、まず『ありがとう』と口に出せ」と 。 言葉にすることで脳がそれを認識し、行動が変わる。


ネガティブな状況でも、無理やりにでもポジティブな言葉を発することで、組織全体の「精神的なフィジカル」が強くなるんです。




久田: それはボクサーの減量と同じですね。 極限状態の中で「キツい」と言えばそこで終わる。でも「これは強くなるための儀式だ」と言い聞かせることで、限界を超えられる。


真瀬さんの経営は、まさにアスリート的な考えの上に成り立っているんですね。



【編集後記】

「クリンチ(抱きつき)」は、逃げではなく、生き残るための高度な技術である。


真瀬社長との対談を終えて、真っ先に浮かんだのがこの言葉だ。 台湾での「夜逃げ」同然の撤退。多くの人はそれを「無責任な敗走」と呼ぶかもしれない。


しかし、リングを知る人間から見れば、それは致命傷(再起不能な倒産)を避けるための、ギリギリの「防御」だったことが分かる。


3000万円の痛みを背負い、道徳的な葛藤に苛まれながらも、彼はリング(市場)から降りなかった。 「辞めなければ失敗ではない」 この言葉は、安全圏から言った言葉ではない。


泥水をすすり、這いつくばって生き延びた男だけが語れる「勝利への執念」だ。


今、真瀬社長は「仕事を通じて人を育てる」ことに喜びを見出している 。 全く本を読まなかったような若者が、彼の元で学び、成長していく。 かつて自分が生き残るために必死だったファイターは今、多くの若き挑戦者を支える、偉大な「セコンド」になっている。




インタビュアー:久田 哲也(ひさだ てつや)

元日本ライトフライ級王者 プロボクシングで20年以上のキャリアを誇り、第40代日本ライトフライ級王座を獲得(5度防衛)。世界ランキング1位として2度の世界タイトルマッチに挑んだ実績を持つ「不屈の王者」。


現役引退後は、後進のボクサーの指導にあたるほか、ボクシングの楽しさや魅力を広める活動に精力的に従事している。



ゲスト経営者:真瀬 浩彰(ませ ひろあき)

株式会社ウィルビー 代表取締役 東京都出身。日本大学卒業後、大手印刷会社勤務を経て、30歳までの独立を掲げ退社。1998年に渋谷でアジア料理ダイニング「Asian Bar BAGUS(バグース)」をオープンし独立を果たす。


2001年に株式会社ウィルビー(有限会社より組織変更)を設立。現在は、沖縄料理と島豚アグーの「南風花(はいばな)」や、中目黒の「草花木果(そうかぼっか)」など、複数の飲食店ブランドを展開。「外食を通じて幸せの輪をつくる」という理念のもと、出会いや語らいが生まれる空間づくりを追求し続けている。(文・構成:戦う経営者図鑑編集部)



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