余る部位を主役に。餃子が結んだ生産者との約束|有限会社エムエーツーユニオン 町田透

大阪を拠点に、飲食店の業態開発、食肉卸、フランチャイズ本部の立ち上げを手がける有限会社エムエーツーユニオン。長崎県南島原市の芳寿牧場が育てる芳寿豚(ほうじゅとん)を大阪で卸し、生産者と飲食店をつないできました。
舵を取るのは、代表取締役の町田透さん。元プロボクサーの長野憲次が、19歳で「自分の店を持つ」と決めた原点から、店を手放して立て直した日々、一次産業の作り手を守るコミュニティまで伺いました。
19歳で決めた、「自分の店を持つ」
《長野》:本日はよろしくお願いします。まずは経営者になる前のお話から。学生時代は、どんな方だったんですか?
《町田さん》:小学生から社会人まで、ずっとバレーボールをやっていました。小学4年生のとき、母親に連れて行かれた練習で先輩に「君、素質があるね」と言われて。そのままのめり込んで、大学でも続けていました。
《長野》:大学は、何を目指して入られたんですか?
《町田さん》:高校の世界史の教員になろうと思って、文学部の歴史の学科に入りました。
《長野》:そこから、どうして飲食の道に進まれたんですか?
《町田さん》:大学でアルバイトを始めたんです。それが飲食店で、働いてみたら楽しくなってしまって。カフェから始まり、お酒も覚えて、バーのようなお店のほうが面白いなと。19歳、大学2回生のときには、将来自分で店をやっているイメージができていて、教員の道は諦めました。
独立から逆算して、キャリアを設計した
《長野》:卒業後は、どんな基準で就職先を選ばれたんですか?
《町田さん》:自分で経営するのが目標でしたから、まずマネジメントを覚えないといけないよねと。それで大手の外食チェーンに新卒で入社しました。最後は和食事業部で研修の責任者を任され、研修先で出会った人事部長さんに夢を話したら、うちに来ないかと声をかけていただきました。
《長野》:独立には、技術も必要だとお考えだったんですか?
《町田さん》:そうなんです。移った先は多くの業態を持つ会社でしたから、できるだけ短期間でいろんな業態に回してください、役職は一番下で構いませんと、条件を出しました。それが通って寿司も握れるようになり、二十代の終わりに大阪のミナミで一軒目を出しました。
《長野》:どんなお店だったんですか?
《町田さん》:創作和食と、隠れ家と、焼酎。東京で流行ったものが半年後に大阪へ来る流れがあったので、焼酎ブームの半年ほど前に手を打ちました。焼酎カクテルに人の名前をつけ、味ではなくその人の性格をメニューに並べる。雑誌やテレビで取り上げていただきました。
現場に立ち続けたら、数字が動きはじめた
《長野》:これまでで一番大変だったのは、どんな時期でしたか?
《町田さん》:大きな投資をした店が思うように回収できず、何軒かの店を手放した時期があります。残った店で立て直すしかない。それで、休みも返上して現場に入り続けました。
《長野》:新しい手を打つのではなく、現場に立たれたんですね。
《町田さん》:結局、そこしかなかったですね(笑)。続けているうちにだんだん数字が上がってきて、返済の見通しも立ってきました。あの経験があったから、今の仕事につながっていると思います。
《長野》:そこから、次の一手はどう考えられたんですか?
《町田さん》:お金をかけずに強みを活かせることを、と考えて食肉の卸に力を入れました。焼酎の店でしたから豚肉なら合うと。見つけたのが芳寿豚です。長崎県南島原市の芳寿牧場が育てるSPF認定の豚で、当時の大阪では流通していませんでした。取り寄せて鮮度と味に感動し、牧場まで足を運んで卸してほしいとお願いしました。
余っていた部位を、餃子という業態に変えた
《長野》:卸先は、どうやって広げていったんですか?
《町田さん》:知り合いに片っ端から、扱いたいところはないですかと聞いて回りました。年に一度は必ず牧場に足を運んでいたので、生産者の方と信頼関係ができ、お困りごとを聞けるようになりました。
《長野》:どんな相談だったんですか?
《町田さん》:どうしても余ってしまう部位がある、と。豚は一頭丸ごと使ってもらえればいいんですが、人気がロースやヒレやバラに集中し、残る部位は安売りでした。それなら価値を上げられる形にしましょうと提案したのが、餃子です。
《長野》:一軒目は、どう生まれたんですか?
《町田さん》:知り合いのサブリースの会社から、売上が振るわない店があるので餃子を使わせてもらえませんか、と声をかけてもらって。業態の設計はこちらで引き受け、カウンターだけの北新地ぎょうざ家が生まれました。
フレンチのビストロだった内装をそのまま使っていたので、おしゃれな餃子屋がある、と話題になって。そこから全国のフランチャイズへ広がりました。余っていた部位も動きはじめ、芳寿豚の名前も広まっていきました。
日本の宝を守る
《長野》:直営のお店は、今も持たれているんですか?
《町田さん》:いえ、コロナのときに全部閉めました。今は業態開発やフランチャイズ本部の立ち上げなど、飲食の周りをサポートする仕事が中心です。飲食店も含めて一次産業として捉えたいと考えています。
《長野》:今、一番力を入れているのはどこですか?
《町田さん》:コミュニティです。JAPAN TREASURE GUILD(ジャパントレジャーギルド)という名前にしました。この人が作らなくなったら次に継ぐ人がいない、という商材がたくさんあるんです。ただ、いいものを作る生産者ほど発信する力がなかったり、出会うコストが高かったりする。そこを私たちが真ん中に入ってつなぎます。
《長野》:日本の宝、という名前には、どんな意味を込められたんですか?
《町田さん》:作っている人たちこそが宝物だよね、という意味合いです。この二十年ほどで農家の数はかなり減りました。日本は大規模な生産がしづらい土地です。少量でいいものを作る方々が続けられる出口を用意したい。いいものをずっと作っておいてください、売るところは私たちがやりますから、と。
《長野》:町田さんにとって、幸せとは何ですか?
《町田さん》:関わる人たちの生活が、より豊かになることだと思います。地方で生産者の方と一緒にうまい飯を食べて酒を飲む。そんな生活ができたらいいですね。
ベクトルは、自然に広がっていく
《長野》:読者には、これから独立したいという方も多いんです。そうした方に、伝えたいことはありますか?
《町田さん》:偉そうなことは言えないので、私事で言いますね。独立した頃は、お金を稼ぎたいし、遊びたいし、でした。ベクトルは完全に自分に向いていた。最初から高潔な動機でやっている人を、あまり見たことがありません。
《長野》:そのベクトルは、変わっていったんですか?
《町田さん》:変わりました。続けていくと、従業員の幸せ、その家族の幸せへと、ベクトルが徐々に広がるんですよ。今は、自分が持っているもので何か貢献できないかな、という意識です。死ぬまで働きたいなと思っています。
《長野》:短期で大きく稼いで売る、という考え方もありますが、どう思われますか?
《町田さん》:それでいいと思うんです。ただ、お金、お金というだけだと、ちょっと寂しい。人のためにやっていると思えたら、細くても長く続けていけます。成功者の本を読んでそのままやってもうまくいきません。自分なりのやり方しかないと思います。
《長野》:本日はありがとうございました。
編集後記
飲食の経営者は現場からの叩き上げが多いなかで、町田さんは順番が違います。19歳で店を持つと決め、経営を学ぶために大手の外食チェーンへ、技術を学ぶために多業態の会社へ。独立から逆算したキャリア設計でした。
強く残ったのは戦略の鮮やかさよりも、うまくいかなかった時期の粘り方です。投資が回収できず、何軒かの店を手放す。そこで選んだのは新しい打ち手ではなく、現場に入り続けることでした。
生産者が抱えていた「余る部位」の悩みは、餃子という業態になって全国へ広がり、産地の名前まで届きました。困りごとを聞ける関係を作り、事業の形に変える。宝物という言葉は、その積み重ねの先に出た実感です。
アスリートの目で読む
元アスリートの視点から、この記事の読みどころをスポーツにたとえて解説します。
■置き場所を変えて活きる、コンバート
人気が集まらず安売りになっていた部位を、町田さんは餃子という業態の主役に据え直しました。肉そのものは変わっていません。変えたのは置き場所です。伸び悩んだ選手がポジションを変えて活きるのと同じ仕組みです。
■移籍先を、ゴールから逆算して選ぶ
経営を覚えるために大手の外食チェーンへ、次に調理技術のために多業態の会社へ。役職は一番下で構わない、という条件まで自ら出しました。なりたい姿から逆算して移籍先を決める。長く現役を続ける選手と重なります。
(戦う経営者図鑑 編集部)
プロフィール
町田 透(まちだ とおる) 有限会社エムエーツーユニオン 代表取締役。大学卒業後、経営を学ぶために大手外食チェーンへ入社し、多業態の飲食企業で調理技術を習得。大阪・ミナミでの独立を経て、現在は飲食店の業態開発、食肉卸、フランチャイズ本部の立ち上げを手がける。長崎県南島原市の芳寿牧場が育てる芳寿豚(ほうじゅとん)を大阪で卸すほか、一次産業の作り手を支えるコミュニティ「JAPAN TREASURE GUILD(ジャパントレジャーギルド)」を立ち上げた。
▶ 有限会社エムエーツーユニオン 公式サイト 【https://www.naminami.co.jp/】
長野 憲次(ながの けんじ) 株式会社アスリート式 代表取締役。元プロボクサー。20歳でデビューし24歳で引退。自身のセカンドキャリアでの葛藤を原体験に、アスリートのキャリア支援事業を展開する株式会社アスリート式を設立。「戦う経営者図鑑」公式インタビュアー。



コメント